2012年6月18日月曜日

40歳を過ぎて


最近久々に宗教の勧誘をされた
エホバの証人と話をしたのだ
エホバの証人(商人ではない)キリスト教の宗派のひとつで
家を一軒一軒訪ねてまわりながら勧誘をする人たちだ
俗物のぼくにはかなりハードな営業活動だなくらいにしか思えない
夢中になれるものがあってうらやましいなとも思った

宗教はともかく
過度の対人恐怖で人間(信者)を信じることができない
そんなぼくは宗教では救われないだろうと思っていた
多くの宗教は信者同士のコミュニケーションが要求される
様々な集会に参加して人づきあいもしなくちゃいけない
そんなことはぼくにはとても無理だ
石コロを拾ってきて神様と名付けて祈っているほうがぼくには合っている
安あがりな自然崇拝だ
人工的なモノは信じられないが自然的なモノなら信じることができる

ぼくは20歳前後の頃
大学への通学途中の駅前や信号待ちで新興宗教の勧誘を何度も何度もされた
ぼくは当時やせていて青白い顔をした無気力な少年だった
童顔で暗い瞳をして気が弱そうにいつも下を向いて歩いていた
そんな少年は彼らの絶好のターゲットだったのだろう
ぼくに友達かのように話しかけてくる
あのなれなれしさ
ぼくに話しかけてくる人には何かしらの悪意があることをぼくは既に知っていた
ぼくを無抵抗な小動物とか田舎者だとか思ってバカにしていたのだろう
恥辱だ
どんなに警戒しても早足で歩いても近寄ってくる
見ず知らずの人に話しかけられる恐怖
怒りもこみあげてくる
無遠慮な人たち
ぼくの対人恐怖は悪化した
ぼくが大学時代にひきこもりになった原因のひとつだ
もう25年以上昔の話だ
ぼくは若かった

エホバの証人の話は不思議と悪い気はしなかった
「読んでください」と彼女達が置いていった読み物は普通におもしろかった
ぼくは世界史が好きなこともあり興味深く読めた
ぼくは年を取ったのだろう
弱くなったものだ
宗教に救いを求めたがる年になったのだろうか
40歳を過ぎて確かにぼくは弱くなった
弱くなったのだから自分に慎重でなければならない
これまでのぼくは嫌なことがあると会社を辞める選択をした
ぼくは辞め癖がついてしまっていた
でも嫌なことがあると死ぬという選択はしなかった
なんとか死なずに生きてきた
命はひとつだ
死に癖がついてしまったなんて言葉は無い
これからのぼくは嫌なことがあると死ぬという選択をしなかったように
会社を辞めるという選択もしないようにしなくちゃならない
会社を辞めるというスイッチボタンはいつの日かどこかに捨ててしまおう
もう若くないのだから


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